【目次】
- 長崎へ移住し、建築関係で働き始めた理由
1-1. 保育士と介護職を辞めた背景
1-2. 父と兄の背中と、建築への興味 - 建築現場で体験した“地獄”のような日々
2-1. 殴る・怒鳴る・飛んでくる灰皿
2-2. 朝7時〜夜21時の異常な労働環境
2-3. 「帰れない空気」と精神のすり減り - なぜ辞めなかったのか
3-1. 当時の“転職の重さ”
3-2. 田舎ほど難しいキャリアチェンジ - それでも続けられた理由
4-1. お客様の笑顔が唯一の救い
4-2. 「あなたに頼んでよかった」が人生の財産に - 5年勤め、店長になって気づいたこと
5-1. やりがいより“消耗”が上回った
5-2. ここが自分の最後の場所ではない - 次回予告
6-1. いよいよ“営業編”へ進む
1. 長崎へ移住し、建築関係で働き始めた理由
1-1. 保育士と介護職を辞めた背景
私は保育士と介護職を経験したあと、思い切って地元を離れ、単身で長崎へ移住しました。
その時点で、人生に迷いと不安がありました。
「このまま保育に戻っても給料は変わらない。」
「違う世界を見てみたい。」
そんな気持ちが強くなっていた時期です。
1-2. 父と兄の背中と、建築への興味
私の父は昔気質の大工で、兄は建築士。
ただ、私はこの“建築の世界”が好きではありませんでした。
父は感情のコントロールが苦手で、怒鳴る・叩くは日常。
兄は大阪の建築会社で働き、2年で疲れ果てて帰ってきた姿を見ました。
「きつい仕事」
「汚れる仕事」
そんなイメージがあり、正直避けてきました。
(今は偏見だったと反省しています)
それでも長崎で建築現場を選んだ理由は、
“父と兄が生きてきた世界を見てみたい”という curiosity(好奇心)が1割、
“新しい世界を知りたい”が9割でした。
2. 建築現場で体験した“地獄”のような日々
2-1. 殴る・怒鳴る・飛んでくる灰皿
入社した建築会社は、今では考えられない環境でした。
罵声、怒鳴り声、理不尽な暴力。
灰皿が飛んでくる。
顔以外なら殴られても当たり前。
現場で少しミスをすれば殴る・蹴る。
そんな世界が“普通”とされていました。
2-2. 朝7時〜夜21時の異常な労働環境
朝7時に出社し掃除をしてから現場へ。
現場作業は9時〜19時。
その後、帰社してからも上司が帰るまで帰れない。
気づけば平均21時。
毎日14時間以上働くのが当たり前でした。
2-3. 「帰れない空気」と精神のすり減り
「先に帰ろうとする」
それだけで怒鳴られる。
「え?もう帰るの?楽な仕事だね。」
そんな嫌味も毎日のように言われました。
今振り返っても、あの頃の私は
“精神が削られていく音” が聞こえるほど追い込まれていました。
3. なぜ辞めなかったのか
3-1. 当時の“転職の重さ”
今は転職が一般的になりましたが、
当時は「逃げ」と言われる風潮がまだ強く残っていました。
特に地方ではそうでした。
3-2. 田舎ほど難しいキャリアチェンジ
田舎では仕事の選択肢が少なく、
転職そのものが大変。
人間関係も狭いため「辞めた」と噂にもなりやすい。
そんな背景があり、私は踏ん張るしかありませんでした。
4. それでも続けられた理由
4-1. お客様の笑顔が唯一の救い
そんな地獄のような環境でも、私が辞めずに続けられた理由があります。
“お客様の笑顔”でした。
工事が終わったあと、
「ありがとう。あなたにお願いしてよかった」
そう言ってくれたお客様がいた。
その瞬間だけは、疲れも痛みも全部吹き飛びました。
4-2. 「あなたに頼んでよかった」が人生の財産に
あの言葉は、今でも私の財産です。
人のためになる仕事をしたい。
誰かの喜ぶ顔を見たい。
そう思えるようになったのは、この経験のおかげです。
5. 5年勤め、店長になって気づいたこと
5-1. やりがいより“消耗”が上回った
その会社には約5年勤め、最後は店舗の店長になりました。
ただ、店長になって気づいたのは
「この環境はもう自分の人生ではない」
という感情でした。
やりがいよりも、消耗の方が大きかったのです。
5-2. ここが自分の最後の場所ではない
そして私は退職を決めました。
辞める時に不安はありましたが、
これで良かったと今では心から思っています。
6. 次回予告
6-1. いよいよ“営業編”へ進む
次回は、私が営業の世界へ進んだ理由。
売れなかった時代の話。
そして「構造」に出会うまでのストーリーを書きます。自己紹介②|建築現場で味わった“地獄”と、そこから得たたった一つの宝物


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